日記ログ:イースIV マスク・オブ・ザ・サン -a new theory-

PS2「イースIV マスク・オブ・ザ・サン」(5) (2005/5/28)

続き〜。

○青銅の街区

月の神殿で5本の聖剣を回収すると、堅く閉ざされていた扉が開きます。 その先は、おなじみ「青銅の街区」。BGMもやっぱり「青銅の街区」。
PS2版では氷の山といっしょの曲ってことになっちゃうので、ちょっと残念ですね(^^;
しかし、月の神殿からただ扉をくぐっただけですから・・・古代都市のうち、青銅の街区の部分は浮上せずに、地上に残された部分を探索している、という事でしょうか。

この青銅の街区ですが、ちゃんと「街」らしいデザインになっていて感心。いい仕事してますなあ・・
。 宝箱を回収しながら、円形の遺跡をぐるっと回るとワープポイントがあり、ここから「白銀の城区」へ。 青銅の街区はどうも湖の周囲を囲うような形になっているようです。ただ、これが地下なのか地上に浮上したのかはよくわかりません。湖畔のマップを見る限り、とくに地上は変化はしていないようですが、もしかすると湖の真ん中あたりに、ドーナツ状の島として存在するのかも知れません。

○白銀の城区

白銀の城区のBGMはなんと「カーナ」です。
イントロがパーコレのものを踏襲。ほんといちいちツボをついてきます。

進んでいくと、エルディール達4人に遭遇しました。 ガディスが「ここは俺に任せろ」と進み出て、バトル開始!
「俺達は世界を救うのだ!」って気になることを言っていますなw このシーン、なんかカーナもいるんですが、いつの間に現れたんでしょ? 封印を解きに行く、ってセルレイを出るあたりからアドルと同行していたのでしょうか。

ガディスとの戦闘BGMは「伝説へ続く道」。
ちなみに彼は闇属性らしく、英雄の聖剣以外での攻撃は逆効果となります。 撃破するとさらに変身。残念ながら氷の山で戦ったときの色違いですが、今度は炎属性となり、多彩な攻撃を繰り出してきます。
ホバーダッシュ?からの体当たりが特に脅威で、ガリガリ削られてあやうく死にかけました。

とうとう倒されたガディスは、ボロボロの身でアドルとカーナに自分の過去を語り始めます。BGMは「不安」。

闇の一族とはなんと、ロムン帝国の部隊名!
侵略した国からさらってきた魔法の素養がありそうな子供を互いに殺し合わせ、生き残ったものだけで構成される部隊。グルーダ、バミーは家族全員を、ガディスは姉を殺されて、機関に育てられたというのです。
そしてガディスは、自分たちの行動はロムン帝国を倒すためだと信じています。

今も世界中で侵略と蹂躙を繰り返すロムン帝国を倒す。それが「世界を救う」ということなのでしょう。
が、カーナがガディスを遮ります。闇の一族がやっていることは結局はロムン帝国と同じではないか?

彼らに殺された者達にも家族はいます(レムノスの姉であるカーナもそう)。 ガディスには同情するが、では闇の一族に家族を殺された者は、やはり闇の一族を恨めばよいのか?

侵略で家族を失った彼らこそ、恨みの為に誰かを殺してはならないのではないか!?

もう心の中で拍手喝采ですよ!! なんて熱い展開。
もし、世界中にカーナのような優しい人間ばかりだったなら、とうなだれるガディス。
しかし、彼はもう後に引くことは出来ないし、アドルとカーナを通すわけにもいかないのだ、と、最後の魔法によって、グルーダらが通っていった道をガレキでふさいでしまいます。

そういえば、リーザをさらったときの彼の台詞は優しい感じの声でした。これは声優さんの役作りが良いんでしょうね。もちろん、そのようなキャラを指定したスタッフの力量でもあります。

○エルディール

ここで場面転換。「黄金の王宮」を進む、グルーダ、バミー、エルディール。
太陽の仮面はどこにあるのか、と訊ねるグルーダに対して、エルディールは「太陽の仮面など、ここにはありませんよ」とほほえみ、何かの魔法を発動・・・。 こいつ、殺る気満々か?

アドルに戻って、とりあえず先に進むことに。 この時、何故か白銀の城区入り口へ戻されてしまっています。ちょっと不自然・・・バグかもしれない。
さっきガディスと戦ったところも通り過ぎて、さらに進んでいくと金色の建物があります。 入ってみると「太陽の神殿」と表示。BGMは「五忠臣」です。
レリーフの内容は以下の通り。

「お労しき我が君
永遠に似た刻の中で
女神達の帰りを待ち続けるのか
せめてその御身とセルセタに
祝福と安息があらんことを願う」

その先に進むと、広間に片翼となったエルディールが待っていました。この部屋に入ったときに一瞬見える、散っていく羽根のエフェクトがいいですね。
しかしなんでこんなにボロボロに。あの魔法発動はなんなんでしょ。 グルーダとバミーが想像以上に強くて逃げてきたのか?

「アドルさん。私はセルセタを滅ぼしてしまいます。」
「・・・止めてみますか?」

と、なんといきなり戦闘開始。 ・・・・・この台詞、意図も脈絡もつかめない・・・・・・エルディールがグルーダとバミーに敗れたのなら、
ここでアドルに挑むのは・・・彼の力を確かめよう、って感じなんでしょうかね?
BGMは「灼熱の炎の中で」。エルディールはむちゃくちゃ強く、ゲームオーバーを覚悟しました。
が、アドルのHPが1になったところで終了。どうやらイベントだったらしいです。助かった・・・。 なんだかガレキが降り始める神殿内。エルディールがアドルに近づいてきて場面転換。 よく見えなかったけど、アドルを抱えて外へ飛び出したのかな?

次の場面では、塔らしき建物(イリスの塔か)のテラスで、バミーと、縛られているリーザ。
バミーは、「グルーダと自分のためにみんないなくなれ!」と、リーザを突き落としてしまいました。
メチャクチャやりよるわこの毒婦。
ちなみに、この場面のBGMはなんと「古代都市浮上」。

落下していくリーザは、なんだか一緒に落下していたアドルとエルディールに都合良く合流。
絶体絶命の状況ですがなんだか笑えてしまうwバトルの後、エルディールとアドルの間に何があったんだか・・・一瞬のことでよく分からなかったんですよ。

「どうやら昇華の時が来たようですね。」
「これでやっとあの子達のそばへ行ける。」

・・・・と語るエルディール。 昇華、っていうのはもしかして、イース6で出てきたあの昇華でしょうか。 つくづく巧みなアレンジ!
が、昇華とは現世の肉体を捨てることを意味していたはず・・・。 セルセタと世界の未来をアドルに託して、エルディールは散っていきます。やっぱり死ぬんかこの人。

画面が暗転。「アドルの手には太陽の紋章が握られていた」とテキスト。 リーザがアドルを呼ぶ声が聞こえてきます。
BGMは、ひときわ悲しい「エルディール」。

起きたアドルににこやかに話しかけるリーザ。が、この話題があからさまにおかしいんですよね。
そして、それがどんどん核心に近づいていきます。もうテキストに、声にハラハラしっぱなしですよ。

もしよかったら私も冒険のおともに・・・
冒険って楽しいですか?
いやなこと忘れられるくらい楽しいですか?

・・・とだんだん表情が曇り、涙声になっていく・・・。
今回は、ヒロインが泣く場面が多いなあ(^^; でもどの場面もすごく上手い。脚本家と声優さんに拍手。

場面転換。
グルーダとバミーが、ついに古代都市の中枢?にたどり着いてます。グルーダによれば、そこに安置されている巨大な石版が、太陽光を集めているらしいです。 「集めた太陽光で照らされた古代セルセタはさぞ豊かな土地だっただろう」とグルーダ。
そして、そのもう一つの使用方法は・・・要するにガンダムのソーラ・レイみたいなもんでした。「太陽光による大砲だ」、とグルーダw
彼は、「これがあればロムンどころかエウロペ大陸全土を焼け野原にすることもたやすい」と笑います。バミーは大喜びで、「ちゃっちゃと済ませて私と家族をつくりましょ?」
お前なあ・・・(^^;
これはあれかな、グルーダのためなら何でもするバミーと、そのバミーを駒としか思ってないグルーダ。
そういう展開になるのでしょうか。

○アイテム回収とかいろいろ

場面転換。樹海南部からスタート!
が、なんとアドルのHPが1のまま(笑)じっとしてても敵が寄って来ちゃうから、決死の覚悟でセルレイへ。
まあ、近いしすぐ着くんですけどね。ところでリーザはどうなったんだろう。 こういう、場面毎にキャラが唐突に出たり消えたりするのは、イベント演出での惜しいところです。
しかしアドルが、あの状態のリーザを放っておけるとは思えないけどなあ・・・。

とりあえずガゾックに会いに行って、太陽の神殿で読んだ碑文を伝えます。 ここで、ガゾックが6つの碑文について、「実は一つながりの文章になっている」と看破。 前回までの仮説とは大きく異なることになっちゃうのですが(^^;

「3人居たらしい有翼人の間には争いなど無く、むしろ固い絆で結ばれていたらしい、そして、人間のために、離ればなれになってしまったのだろう」、と新たな仮説を立てます。
レファンスと五忠臣は有翼人に仕える存在で、『空を落とす』とは、太陽の仮面を湖底に沈めたことなのだろう、とも。

この時点では、グルーダ達以外はソーラ・レイシステム(w)の事を知らないため、「太陽の仮面=古代都市そのもの」という考えの上で立てられた仮説ということになります。
これは、まだ明かされていない真相があるのでしょうね。

ここからフレアが同行することに。ていうかカーナとははぐれたことになってる・・ガディスと戦った後は同行していて、アドルとエルディールが戦ったときにはぐれてしまった、ってことかなあ。 同行してるキャラは何らかの形で表示してくれないとわかりにくいですね。

太陽の紋章を持っているので、鍛冶屋で聖剣を鍛えてもらえます。 その後で店を出たところで、久しぶりにデュレンが登場。ていうか忘れてた。 「こいつ誰?」と思ったプレイヤーも、きっと少なくないに違いないw
デュレンはもともと存在意義のよくわからないキャラ(特にSFC版)だったように思いますが、今回はホントにただの情報屋のようです。

彼の口から、7冊目のイースの書、という情報は、グルーダの依頼で意図的にアドルに伝えたものだったことが明かされます。 デュレンは「スジを通す」ためにアドルを探していたと言うことで、ロムン軍が発見したというイリスの塔の鍵をアドルに渡すのでした。
そろそろ終盤だと思いますが、ここに来てちょっと展開が粗くなってきたかな?
さっきのリーザの場面もそうですし、ちょっと前の聖域の城でも(大地の剣を取りに戻らないといけないのは、作劇上おかしい)そうでしたが・・・。 さて、ここで再び古代都市へ乗り込むのが正道なんでしょうけど、ちょっと思い出してアイテム回収に旅立ちました。

氷の山ではセルセタの花の原種(の種)を入手。
峠の遺跡でガイアシリーズの防具を入手(これも、大地の聖剣と同じダンジョンにあるのに、一度出て大地の聖剣を鍛えた後でないと入手できない・・・ちょっと考えて欲しいところ)。

プロマロックに戻ってみると、瓶詰めの手紙が流れ着いてます。
そこに書かれている内容を確認し、ルグオの村で「エクスペルオーブ」を入手。これ、手紙を読んでないと見つからないみたいですね。

後で知ったんですけど、さらに「五忠臣の霊からメッセージを聞く」とかいろいろあるみたいです。 今からでもいけるんだろうか・・・?明日試してみよう。

○イリスの塔(1)

というわけで再び、月の神殿から古代都市へ。白銀の城区で英雄の鎧、盾を発見。ホントは最初に行ったときに取っておくべきなんでしょうね(^^;
すごくわかりにくい(見えにくい)ところにありました。

太陽の神殿の、エルディールと戦ったところでカーナと再会。ここで待っててくれたのか。
で、イリスの塔へ入るのですが、アドル・カーナ・フレアの三人で探索することになります。お医者さん元気だなあw

イリスの塔ですが、BGMは「聖域」。さて、今日はこのイリスの塔を攻略して、もうクリアしたるはどんと来い!!と思っていたんですが、ここで痛恨のゲームオーバーを喰らってしまいました。
もう、ダンジョン内でセーブできないのをこれほど恨んだことはない・・・って感じ。
とりあえず、7Fでバミーと戦うことになる(BGMは「溶岩地帯〜エルディールにくちづけを」)のですが、第二形態で負けちゃいました。
第二形態のBGMはメモし忘れ。確か「灼熱の炎の中で」なんですけど、明日確認します。

イリスの塔に入る前まで戻されてしまったので、今日はこれで終了〜。
ここまでのプレイ時間、すでに14時間。 まあ、フレイムアーマー事件とかいろいろありましたからねえ・・・。

すでに初プレイ時のPCエンジン版イース4(17時間48分、覚えてるのが馬鹿全開)に次ぐ長さに。

PS2「イースIV マスク・オブ・ザ・サン」(6) (2005/5/29)

やっとクリア。
ゲーム的にはちょっと粗があるのですが、十分に良作です。
イース6で示された最新設定にもきっちりすりあわせてあり、物語や設定面ではこれが「公式・決定版」と考えても問題ないでしょう。
システムやゲーム性のまとめ、不満点の整理等は最後にまとめることにして、まずはいつものように進めます。

○古代セルセタの真実

とりあえず、気を取り直してもう一回イリスの塔へいく前に(ぉ、 それぞれの神殿を回って五忠臣とレファンスの言葉を聞いておくことに。
全部メモしたのですが、ものすごい量になるので要約してみます。

○スラノ

セルセタに降り立った自分たちは、海面上昇を恐れていた。
それを案じた有翼人らが、『海さえ焼き尽くす神器』を空中に造る。
しかし海面上昇は訪れなかったため、次第にその恐怖は忘れられ、
人々は地上に国を築いた。

*スラノが言う「海面上昇を恐れていたとは、エルディーンが海中に没したことを受けてのものと思われます。地震のあとで余震を恐れる感覚でしょう。

○トリエ

有翼人の庇護のもとでの、平和で満ち足りたな暮らしに満足できない輩が現れた。
その人物は太陽の仮面を我がものにしようと忍び込み、機能を狂わせてしまう。
そのことを知らない人々は、同じく有翼人の神器だった『黒真珠』が近くにあったことが原因で太陽の仮面が狂ったのだ、と、有翼人に責任を押しつけてしまう。
結局、双子の女神が6人の神官だけを供に、黒真珠を他の地へ持ち去っていった。

*レリーフの碑文にも「黒き御霊」という記述がありましたが、黒真珠であることがはっきりします。
また、イースの女神=セルセタの双子の女神であり、6神官もまたセルセタからイースへ渡ったとみて間違いないでしょう。

○ラディ(旧作ではラディー)

神器は人々に豊かな恵みをもたらしていた。
陽の光を操作する神器はいつしか『太陽の仮面』と呼ばれるようになる。
空の厳しい表情を包み隠し、ただ穏やかに太陽をほほえませる、という意味で。
人々の暮らしは富み、心も豊かになるはずだった。

*「太陽の仮面」についての説明となります。スラノが言った「海を焼き尽くす神器」と同一のものですが、危機が訪れなかったことで、太陽の光を操作して暮らしを豊かにするのに用いられたことが語られています。

○ミーユ

800余年の昔、我々は遙か海の果て、西の地に住んでいた。
有翼人の庇護のもとで栄華を極めていたが、その地は海に呑まれてしまった。
多くの有翼人は天界へ戻ったが、人間と供に他の大陸へ渡った者もいた。
そして我々は、エルディールをはじめとした数名の有翼人に付き従って、セルセタへ渡った。

*古代セルセタのルーツとともに、PCE版イース4やイース6で語られた古代超文明エルディーンについて説明されます。特に昇華に関する点など、イース6での内容にきっちり合わせられています。
セルセタに渡った有翼人はエルディール、フィーナ、レアの他にもいた可能性が示唆されていますが・・・。

○タリム

時間と供に状況は悪化した。黒真珠を無くしたことで、悪影響が拡大したのだ。
先に旅立った有翼人を連れ戻すにも行方はわからず、双子の女神はついにセルセタに帰らなかった。
狂った太陽の仮面はついに暴走し、セルセタの大部分が焼けた。
元は海を焼き尽くすためのものだ、その有様は言うに耐えないものだった。

*太陽の仮面が狂いだして以後の状況です。黒真珠は、太陽の仮面を制御する役目も持っていたのでしょうか?
とすると、それを遠く離してしまうことの危険性を、エルディールやフィーナ・レアが見抜けなかったとは想像しづらいのですが・・・人間の側からよほどの圧力があったのでしょうか。

ここまでが五忠臣からのメッセージをまとめたもの。
全ての神殿を回るのは結構に面倒なのですが、それだけの価値はありました。
内容はまさに驚きの連続です。特に、イースとセルセタの関連はこれで明らかとなったと言えますし、過去作品や「イース6」との関連も適切に整理され、イース世界の時系列がはっきりと見えてきます。
*は僕が勝手に書いた捕捉ですが、ハズしてはいないと思います(^^;

○レファンス

太陽の仮面の暴走によって被害を受けた人間達は、暴走の原因を『エルディールが人間の繁栄に嫉妬し、人間を淘汰するために太陽の仮面を使ったのだ』と噂した。
エルディールは深く傷つきながらも人間を見捨てず、レファンスと五忠臣に聖剣を授け、6人は太陽の仮面を封印することが出来た。
命を落とした6人のために、エルディールは涙さえ流したのだった。
だが、時間とともに封印の力は弱まっていき、セルセタは樹海へと変貌していった。

エルディールは、双子の女神の帰還を待って、辛く永い時をセルセタで過ごしたが、再会もかなわず、人間の業によって再び災厄が訪れ、エルディールもまた天界へ帰ってしまった。
その無念はいかばかりか。

*実際のテキストでは、レファンスだけが『神々』ではなく『エルディール様』とエルディール個人を指して呼んでおり、封印のあたりでセルセタにはエルディール以外の有翼人が居なかったことを暗に示しています。セルセタに渡った有翼人が三人の他にも居たのだとしても、彼らは昇華した後だったのかも知れません。

レファンスはアドルに、太陽の仮面を沈黙させて神々の愛したセルセタの大地を守ってくれ、と語ります。
いろいろ謎が解けてスッキリしたところでw、そのままイリスの塔へ突入。

○イリスの塔

内部は8Fまで。1〜6Fは各フロア毎に柵で閉じこめられるトラップがあり、それを解除して次のフロアへ進むことになります。また、床の文様でも各フロアの属性が分かるようになっています。

1Fは炎属性の敵が登場。氷の聖剣で戦うとダメージが大きくラクです。
トラップは室内の敵を全滅させることで解除されますが、現れたり消えたりして結構ウザイ。

2Fは氷属性の敵が。トラップは1Fと同じ様なものです。スライムと巨大スライムを全滅させて3Fへ。

3Fは雷属性のフロア。ここのトラップは、雷の聖剣で作動させるレーザー発射装置を使います。
周囲にあるクリスタルを押して並び替え、レーザーを発射装置のすぐそばにあるもう一機の装置にあてれば先に進めます。

4Fは地属性で、スイッチを踏んで進むことになります。
トラップの部屋では、全てのスイッチを凹ませることで先に進めるようになります。真ん中に地のエレメントを置き、上側から反時計回りに踏んでいけばOKです。
また、宝箱から「ディフェンサー」を入手。

5Fは刻属性のフロア。ここが一番楽で、床の紋章が正しい刻の紋章になっている方向へ進めば抜けられます。間違えると5Fの入り口に戻されてしまいます。

6Fは闇属性の敵が登場。文様は、光の紋章に大きくヒビが入ったもので示されています。
ここのトラップは、アドルモドキが大量に出現するというもので、結構強いので注意が必要です。
珍しく聖剣の必殺技が大活躍。

7F、8Fはほぼイベントのみのフロアとなりますが、6Fからの道が二つに分かれており、一方で「リフレクター」を入手できるようになっています。

○バミーとの対決

7Fの正解ルートでバミーと対決。アドル、フレア、カーナにバミーから過去についてのオハナシが・・・

彼女が言うには「心が弱い」ガディスは、辛い過去に耐えかねて都合の良い記憶を捏造したのだとか。
ガディスは姉を殺されたのではなく、実は姉によってブラトスへ売られたのだ、と語ります。バミー自身は家族を殺されたのではなく、捨て子だったのだとも。
ただし、グルーダについては本当のことだった、ということも明らかになりました。
幼少の頃から魔法を使うことが出来たグルーダは、プロマロック近郊の鉱山で働いていた家族ごと襲われ、家に火を放たれたのだと。
鉱山、とは盗賊の砦になっていた廃坑の事でしょう。火を放たれた家とは、あの隠れ家のことでしょうか?

ロムン帝国に復讐したら、自分がグルーダの永遠の家族になってあげるんだ、とバミー。
それを遮って叫ぶカーナですが・・・

「あんた達が殺した人にだって家族はいるのよ!?」
「そんなの当たり前じゃない。」
「自分たちだけが幸せならそれでいいの!?」
「あら、いけないの?」
「他人が幸せならあなたは幸せ?あたしは違う!」

このお姉さんは筋金入りです(^^;
これもグルーダへの盲目の愛(ただの恋愛感情でなく、ちょっと母性を思わせる感情が見られるあたり、作劇が上手い!)故か。
ここでボス戦開始となります。BGMは「溶岩地帯〜エルディールにくちづけを〜」。
バミーはフィールドにモンスターを召還しつつ、レーザーを撃ってきます。これに当たるとスライムに変えられてしまいます(^^;まあ、すぐ元に戻るんですけどね。
ダメージもほとんど受けないのですが、バミーに斬り付けても何の効果もナシ。周囲にあるクリスタルを押していって、バミーを囲んでしまうのが正解です。そのうち、自分の魔法を喰らったバミーが魔物化してしまいます。
しかし・・・悠長にクリスタルを押してるアドルを黙ってみてる様子は、ちょっと笑いを誘うw

第二形態へ移るときのイベントシーンでは「治れ、あたしっ!がんばれ、あたしっ!」とテンパるバミーであった。
第二形態のBGMは「灼熱の炎の中で」。巨大な蜘蛛となったバミーと対決。
糸の攻撃を受けると動きがものすごく遅くなります。うまく攻撃できずにいるとダメージを受けまくるので注意が必要です。

第二形態を撃破。倒されたバミーが起きあがるのですが・・・
フレアが彼女を地上へ連れ帰ることになり、カーナも同行します。ここからは本当にアドル一人。
闇の一族の過去はどれもベタベタなんですけど、だからこそいいんですよね。 誰にってわけじゃないけど、ベタ=ダメ、古い=悪いこと、みたいな幼い感性からは早く卒業して欲しいものです。

イリスの塔8Fには2つのワープゾーンが。入ってすぐにあるワープゾーンからは、湖畔の西にあった青銅の街区?の一部へワープできます。
これはすごく驚き&感心。さりげない演出だけでなく、こうやってゲームに活用してくれるなんて!
ていうかやっとセーブできる!!w

○黄金の王宮

イリスの塔8Fからワープ。
ここが、事実上最後のマップとなります。BGMはもちろん、「太陽の神殿」!
途中のトラップは、単に敵を全滅させるものと、スイッチを踏んで全てを凹にするもの。風ザナみたいなもんです。途中の宝箱からは最強の鎧と盾が。
盾の名前がかっこわるい(「タックラー」)のが残念なところです。
ここはばんばんレベルが上がるので、悔いの無いように戦いまくりたいところですね。ワープですぐ戻って来れますし。

○最終決戦

黄金の王宮を抜けると最終決戦の舞台へ。
モノとしての「太陽の仮面」は、今作ではこれを指すのでしょう・・・輝く、巨大な円形の装置(石版というにはメカニカル)の上でグルーダと対峙(BGM「闇の一族」)。

バミーが倒されたことに驚愕するグルーダ。
彼との会話で明かされたのは、まず「7冊目のイースの書」の正体でした。それはイースの書などではなく、銀で飾られたただの呪文書だったのです。
かつてロムンの魔法研究で権威だったブラトスが、見栄のためだけに作らせた呪文書ですが、強大な魔法使いであるグルーダが使えば脅威。
対決が始まります。BGMは「灼熱の炎の中で」。

戦いに勝利すると、グルーダの力によってか、どこかへテレポートさせられてしまいます・・・。地名表示はありませんが、おそらくはこの遺跡の中枢であり、動力源なのでしょう。
BGMは「最終決戦」。装置がラストボス、というのはイース6を思わせますね(^^;
ここでは、小さなフロア毎に示された属性の聖剣を装備して(対属性でないことに注意)、一つずつ破壊しながら進んでいきます。攻撃が結構激しく、特に太いレーザーはダメージが大きいですが・・・おそらく余裕で踏破できるでしょう。

○グルーダ

再びグルーダの前へテレポートするアドル。驚いたグルーダは再び魔法を発動しようとしますが、何も起こらない・・・・
先ほどの装置が、魔力の源だったのです(やっぱりあれが太陽の仮面の中枢だったのかな)。

死を覚悟したグルーダの、恒例の身の上話タイムが始まります(茶化して書いてるけど、何度か言ってるように、僕はこういうのをマイナス要素と短絡的に決めることはしません)。
ここも、話の内容もちゃんとしてるのですが、声優さんの演技がすごくいい!ちなみにこの場面、BGMはありません。

幼い頃から魔法を使うことが出来たグルーダは、しかし、親の言いつけでその力を人に見せることはしませんでした。しかしある時、鉱山の事故に巻き込まれた父を救うため、彼は魔法の力を行使します。

「それで、私の人生は終わったよ!」

一転した周囲からの視線。
ついにはロムン帝国によって家族を奪われ、家を焼かれ、「モルモットとして」生きることにまでなった・・・。

グルーダらの境遇は本当に不幸なものです。彼はアドルに言います。

「エステリアでのお前の行動で、少なくともブラトスは不幸になった。」

誰かの行動は、どこかで知らない誰かを不幸にするのか?

「こんな人生に、なんの未練もない・・・・」
「さあ、とどめを刺せ!」

アドルに迫るグルーダ。彼に近づいていくアドル。
そして、剣が突き刺さる音とともに、画面が暗転・・・・。

○エピローグ

次の場面は、いきなり船の上です。カーナからの手紙を開くアドル。

この手紙なんですが、テキスト表示はナシでカーナの声のみとなります(^^;
「新たなる始まり」をBGMに、コモドやセルレイ、ハイランド、そしてあの鉱山の場面が次々に描かれていきます。
また、各地に点在していた両腕と頭部の無い有翼人像がきちんと修復されているのが地味な感動ポイントw

冒険家であるアドルを引き留めることは出来ないだろう。
そんなアドルを「800年くらいは待ってるから」というカーナ。彼女らしいなあ、とここでもシナリオに感心w
で、手紙のキモとなるのがこの部分。要旨ですが、

「あなたの行動は、きっとどこかでだれかを幸福にする。
そしてあなたの幸福はきっと、どこかで誰かがした行動のおかげ」

・・・・もしかして復興しているのか、鉱夫の姿が見られるようになった、プロマロック近郊のあの鉱山。
山道を抜けた先にひっそりと建つ一軒の家のわきに、手斧が突き立てられた墓があります。
家の中では、寝椅子に揺られているバミーが。そして次第に近づいてくる誰かの足音・・・・
扉が開かれ、薄暗かった室内に光が射し込んだところで、カーナの手紙も終わります。

最後の言葉は「最後になったけど、ありがとう。」

画面はふたたびアドルのいる船の上へ移ります。

「旅に出るんだ。
まだ知らない誰かを感じて。
みんなが優しく、穏やかでいられるような世界を夢見て。」

ゲームの一番最初に登場したものと対になる、アドルのモノローグ。
そして静かにスタッフロールへ・・・。

素晴らしいエンディングでした。タイトーさんと、開発に携わった全てのスタッフの方々に、感謝と拍手を。

これこそがイース4の物語です。

PS2「イースIV マスク・オブ・ザ・サン」(7) (2005/5/29)

というわけで、プレイ時間はおよそ18時間に及びました(^^;
ダンジョン等が意外とややこしかったり、クリアに必須でないアイテムやイベントもあったことで、時間的なボリュームはイースにしては結構に大きく感じます。
総じて良い作品でしたが、欠点や不満点もしっかりありますので、最後にこれらをまとめて、長い長いプレイ日記の終わりとします。(ちなみに書き忘れてましたが、スタッフロールの曲は「蒼い月の詩」。)

○ストーリー・シナリオの問題点

物語の進行については大きな不満はないのですが、あえて大きなものを二つ挙げてみましょう。
一つは、聖域の城で大地の聖剣が必要になる点。
もう一つは、ドギの登場についてです。
・・・えーと、ゲーム上、二つで一つと言ってもいいですね、これ。特定のタイミングに不満点が集中しちゃったわけです(^^;
大地の聖剣については、入手の順番はいっそ聖域の城のあとでも良かったと思います。あのタイミングで、大地の聖剣を手に入れるためにせっかく突入した城から出なくてはならない。
それもドギが唐突に(w)登場して道を切り開くイベントまであったのに・・・。
この辺の展開はもうちょっと考えて欲しいところ。
ブラトスの魔物化やカーナが倒されるシーンなどを強制イベントで見せられているわけですから、一刻も早く彼女を助けたい、ブラトスと戦いたいのがプレーヤーの気持ち。
あえて焦らすもの演出の技ですが、ここでやることはなかったと思います。

次、今回一番の問題キャラ、ドギ先生。
あんたなんでセルセタにいるの?とか、なんであんなところから出てきたの?とか、セルレイ以後(長老会議が終わったあと)はドコで何してるの?とか、いろいろとツッコみたいことがありますw
ぶっちゃけ、この人は出てこなくても何の支障もないんですよね。
それでも出すなら、物語上の役割をもっとしっかり定めて欲しかったところです。
ちなみにエンディングにも出てきません(ぉ

さて、物語から視点を少し落として「脚本」をみてみましょう。

ここで問題として考えられるのは、まず「メインでない人物達の台詞がややテキトーである」ことと変化が少ないこと、そして、一部に単語レベルでのおかしな点があることです。
前者については、物語にあまり関連しないとはいっても、ゲーム全体の雰囲気や世界観を作るのに果たす役割は小さくないことを、ファルコムファンであればよく知っているでしょうw 全員に名前を付けろ、とかは言いませんが(付いてるのも好きですけどね、もちろん)。

後者の問題点については、例えば「新しい(レリーフの)古文(こぶん)は見つかったかの?」とか、「こんなボロい城を居城(いじょう)にするつもりか?」、「ハイランドはロムンの属国になった」などです。
まあ、「いじょう」は・・・声優さんが読めなかったのか、わざわざフリガナをふってあったのか・・・。

ハイランドが属国、というのは、セルセタ地方があくまで一地方であり、特定の国家が支配してない状況で、かつ村々が都市国家として機能している、という前提をおけば間違いではないのですが、ゲーム中で呼称が一貫して「村」である以上、不自然さは拭えません。
「属領」なり「領地」になった、とすればより自然な内容になったでしょう。

「古文」も似たようなものですね(^^;
「古い言葉で書かれた文章」そのものをさす言葉でもありますから間違いではないのですが・・。

○演出の問題点

まず大前提を書いておきます。
演出=視覚効果ではありません。優れた演出=派手な、または美しい画面エフェクト、だと思っている方が多いのですが、それは幼く狭量な感性による判断です。

PS2のイース4で、演出として一番問題だと思ったのは、強制的な自動進行のイベントが多用されている一方で、その前後の繋がりが不自然に感じられることでした。
典型的なところで、エルディールが昇華したあとのアドルとリーザの会話シーンを挙げておきます。
この場面の後、リーザは姿を消してしまいます。これは、去っていく姿を描写したりしたワケではなく、単に画面から居なくなってしまっている、というものなのですが、プレイ日記でも書いたとおり、果たしてあんな状態のリーザをアドルが放っておくでしょうか?
ブラトスに倒されたカーナもそうです。アドルとブラトスが戦ってるときも彼女の姿はありませんが、ブラトスを倒すとすぐ近くに倒れています。

こういう感じで、強制イベントの切れ目でキャラクターの動向がわからなくなったり、不自然さを感じさせたりする部分が多いのです。
リーザなんかは走り去っていく姿までをイベントシーンで描いてあれば、不自然さはかなり緩和されます(一人去っていくリーザをアドルが放っておくのか、とも思いますけどw)。
そういう「詰め」というか、練り込み不足が随所に見られるのが残念です。

あと、これは画面エフェクトについてなんですが、ウイングを使ったときなどもうちょっと派手でもいいように思いますね(^^;
また、敵を倒したときの消え方も「今時これかぁ?」と思います。
(最初に視覚効果を否定してますが、要は視覚効果というのは「演出の1つ」でしかなく、視覚効果だけで「演出(全体)」を判断することは出来ない、ということです。)

○ゲームシステムの問題点

攻撃アクション。弱・中・強(小中大)の攻撃ボタンがあり、それぞれに特色があるのですが、生かし切れてません。差を実感する場面が少ない、と言えば良いでしょうか。
また、弱・弱・中・中・強、とタイミング良く攻撃することで、最後に必殺技が出るのですが、これの使い勝手が悪いのも問題。
だいいち、この5連続攻撃をあてた段階で生き残ってる敵はほとんど居ません。
また、必殺技を出すと盛大なスキが発生し、周囲の状況によってはかえって危険になります。

アクションつながりで、エレメント。
基本的に、「詠唱>召還」「召還されたエレメントを攻撃」という手順であるため、はっきり言うと煩雑です。
さらに、場合によっては「攻撃した後でエレメントを押して動かす」ことも必要になります。その煩雑さに加えて、詠唱中に寄ってくる敵が多めであることもマイナス要因。
効果としては、弱攻撃をあてるとパラメータ変動、中攻撃をあてるとエレメントを飛ばして攻撃、強攻撃では周囲の敵にダメージ+特殊効果となりますが、中攻撃での飛び道具としての使い勝手の悪さが致命的ですね・・・。
「使わなくても困らない」という意味で、SFC版イース4の魔法の悪いところを受け継いでしまったという印象です。
いっそ、ダイレクトに飛び道具としての魔法を発動できるボタンを用意して、特殊な効果を得るためにのみエレメントを召還する、という形がよかったかも知れません。

エレメントを使用した謎解きなどは、難しいモノはありませんが良いアクセントになっていたと思います。

物語上、アドルに他のキャラが同行している場面がいくつかあります。
これも、ゲームシステムにちゃんと組み込んでくれていないため、シナリオ展開を時に不自然に、あるいは唐突に見せている一因です。戦闘に参加しろとまではいいませんが、マップ上でちゃんとついてくるなり、せめて同行キャラがいることが画面上で確認(メニュー画面に表示するなり、簡易ステータスに表示するなり)できるシステムだったなら、大分マシだっと思います。

システムの最後に、セーブ/ロードに関して。
基本は「街やフィールドでは自由にセーブ、ダンジョンではセーブ不可」というものです。
街などで自由にセーブできることから、別に3D化すると自由なセーブが出来ないってわけではないのでしょう。であるなら、おそらく開発中に「ダンジョンではセーブ不可」という原則だけが一人歩きしたものだと思います。
今回、ダンジョンは意外とややこしいところもありますし、一応ボス戦もあるわけですから、せめてダンジョン内ではセーブポイントを用意し、要所でセーブできるようにして欲しかったところです。

○ゲームバランスの問題点

まず端的に言えるのが、「ボスが弱い!」って事だと思います。
まあ、僕は油断してバミーねえさんに一回負けたんですけど(笑)、それにしても弱い!
対照的にザコは結構強く感じる場面が多いです。というのは、新しいダンジョンに行ったらレベル上げ、というのがお約束になっている、ということでもあります。
レベル上げは無いと逆に不満が出るのかも知れません。イース1エターナルでも、ゲーム半ばでレベルが最高になる(これはイース1はもともとそうなのですが)ことが受け入れられないという意見は少なくありませんでした。
ただ、ボス戦は・・・。
せっかくの「アクション」RPGなのに、基本的にテクニックも戦略もあったもんじゃないのは残念ですね。また、敵の攻撃パターンと低い攻撃力には、どうもそういう「力押し」の戦い方を前提にしているような印象があります。

で、お金がアホほど貯まるのもどうかな〜と思いました。中盤、セルレイで新たな武具が売られるのですが、この時までに20万近いゴールドが貯まっていたのですが、使い道などあるはずもなく・・・。
セルセタの秘薬がもっと高い、なんてのでも調整としてはありだったかも知れません。

○グラフィック・サウンド

マップの絵などは地味でローポリなのですが、結構丁寧で好感を持ってます。 一方で、キャラクター・モンスターですが、特にモンスターは塗りのせいで軽そうな印象を受けてしまいます。
また、ボスモンスターは3Dなんですけど、これもローポリ感がただよい、ちょっと寂しい印象です。(余談ですが、ザコモンスターはSFC版をベースにデザインされたと思しきものが多数登場します。)
人物のちびキャラは丁寧ですね。

キャラクターのバストアップについてですが、イース3ではボロクソに言っていた僕ですけど、今回はあまり嫌悪感は持ちませんでした。絵柄は同じなんですけど、3ほど酷いデザインじゃなかったのも一因ですね。
(あきまん氏の絵を全て撤回して描き起こしたらしい経緯から、3については短期間にデザインを上げたのでしょう。あの、安直で程度の低いデザインはそれが原因だと思っています。)
ただ、絵柄としては正直言って微妙・・・・まあ、好みの問題ですね。

サウンドはかなり評価してます。「PCエンジン版に比べて・・・」という意見が多いですが、それは「PCエンジン版至上主義者」の意見にすぎない、と言ってしまいます。(そもそも比較対照として間違ってる気がする)
今回の音楽アレンジは、過去に発表された音源を一通り聴いて、それぞれの良い点を取り込みながら行われたものでしょう。

「セルセタの樹海」や「フィールド」「戦闘#58」「灼熱の炎の中で」「太陽の神殿」などなど、米光氏によるアレンジ版の特徴的な音色を出来るだけ再現した曲や、「カーナ」「THE DAWN OF YS」のようにアレンジされた曲構成やフレーズを踏襲したもの、「紅の翼」のようにSFC版のアレンジ(サビのアルペジオ)を盛り込んだものまであります。

これらのことからも、まずスタッフのこだわりとサービス精神がうかがえますし、実際に仕上がったクオリティも高いです。
音色がちょっと軽めだったりするのは、サンプリングやメモリーに落とし込む段階での技術的(そして仕様的)な問題でしょうか。
確かに、曲によってはオーディオのストリーミングで鳴らして欲しいですけど、今回もクオリティは非常に高いと思いますよ。

で、「不満」なのは曲数が少な目であることと、一部の使い方ですね。
例えば青銅の街区と氷の山が同じ曲だとか、バミーがリーザを突き落とす場面で「古代都市浮上」が使われてるのですが、それっきりだったとか・・・・
この曲はすごく格好いいアレンジになっていて、僕はてっきりイリスの塔の上層ではこの曲になるのだろうと期待していたのですが・・・(^^;

ただ、ゲーム中ではどの曲も実際に使用された場面にマッチしていて、その意味では不満はありません。

SEにもあまり不満はないですけど、敵を倒したときのSE、というものが無いんですよね。ちょっと寂しいかな・・。

大体こんなもんでしょうかね、不満点もきっちり挙げておきましたが、今回のイース4は(何回も言うけど)良作です。
イースファンなら見逃すなかれ。
そしてイースファンでない人にとっても、過度な期待が無ければ十分に楽しめる出来だと思います。どこか古くさいのは事実ですけどねw
ファミ通のレビューは、まあまあ妥当だと思います。僕なら思い入れで+1して8点、ってところです。

冬に出る予定の「イースV(仮)」がどうなるか、今から楽しみですね。

PS2「イースIV マスク・オブ・ザ・サン」(8) (2005/6/2)

終わったはずのプレイ日記がなぜ!?
いや、いろいろ語りたいんですよ。それくらいイース4という作品は、僕にとって、13年前からずーっと特別なものなのです。(制作発表自体は発売より前に行われてるので、それ以来という意味です。)

・・・今回はプレイ日記じゃなくて、ストーリーの要点を整理する意味も込めて、ちょっとした、浅はかな考察を行います。
もちろん、容赦なくバレとるで。

○アイテム

●6本の聖剣

レファンス王と五忠臣がそれぞれ振るった聖剣で、実は「太陽の仮面」を封印するために、エルディールが6人に与えたもの。
エルディールの言によれば、大河の村セルレイで造られたようです。
それぞれ、各地に散らばる五忠臣の墓(同時に神殿)と峠の頂上にあるレファンス像に安置されており、古代都市の封印を解く鍵にもなりました。最後の戦いでは、全ての聖剣を使って古代都市の中枢を破壊します。
その後どうなってしまったのかは不明。おそらくは魔法の力を失い、ただ美しいだけの、普通の剣になったのでしょうか。
旧作のうち、PCエンジン版イース4における魔法の杖と、SFCでの魔法の剣(炎風の剣、激光の剣など)両方の役割を兼ねていますね。

●「7冊目のイースの書」

プレイヤーが手に入れるものではありませんが、冒険のきっかけとなる重要な存在。

その正体はイースの書ではなく、銀で飾られた呪文書にすぎませんでした。
アドルがセルセタ行きを決心した直接の原因(ストーリーの導入役)であるとともに、各街・村で「魔導書を持った謎の人物」のうわさ話が聴けることから、中盤までの牽引役でもあったようです。
が、これはやや失敗しているように見えます。

しかし、僕はこの手に入らない(そして結局はニセモノだった)アイテムこそ、今回のもっとも重要なキーアイテムだったと考えています。
他にもいろいろあるけど、今回書きたい内容に関係するのはこれくらい(ぉ

○白き伝承と黒き伝承

セルセタに伝わる、有翼人にまつわる伝承。
有翼人を善なるもの、神の使い、いや神そのものとして語り継ぐ「白き伝承」と、悪なるもの、人間たちに敵意を持ち、その優れた文明の利器によって滅ぼそうとした(そしてレファンスと五忠臣によって倒された)ものとして伝える「黒き伝承」。
互いに正反対と言って良いこれらは、PS2版イース4の新しい設定のなかで特に重要なものです。

ゲーム中の描写や風景を見る限り、ほとんどの土地では黒き伝承が正史として信じられており、白き伝承は、聖域に仕える高原の村ハイランドにのみ伝わってたようです。
ところで、黒き伝承は大筋においてSFC版の設定と似ていますねw
これは実は誤りであったことが次第に明らかになっていくのですが・・・ しかし、もちろんそんな皮肉(だと思う)だけではなく、PS2版の物語の中で大きな意味を持っています。

○闇の一族

「闇の一族」という名称自体は、原案段階では設定されていなかったようです。
旧作ではPCエンジン版の設定と言うことになるのですが、その時は「セルセタにかつて君臨した暴君、殺戮王アレムに与したものたちの末裔」という設定でした(アレム自身の子孫だったかどうか、ちょっと自信ナシ)。
原案やSFC版においては、彼らは単に「3悪人」や「3人の魔道士」といった感じで、名称のやる気のなさ同様にそのルーツや目的はいまいちつかみきれませんでした。

ここまで踏まえておいて、PS2版においても「闇の一族」という名称が使われていますが、その意味は「ロムン帝国の部隊の名前」と意表をついたものになりました。
ロムン帝国が、侵略した国々から魔法の素養がある子供達を集め、過酷な条件下でさらに殺し合いまでさせて、生き残った者達だけで構成されたという悲しいエリート部隊です。
グルーダ、ガディス、バミーの三人の心には、それぞれ重く辛い過去とロムン帝国への恨み、そして世界への逆恨みと強い仲間意識(単純なものではないけど)がどろんどろんに渦巻いています。
この「世界への逆恨み」−まあ、語弊は大いにあるんですが−こそが、PS2版イース4においてのもっとも重大な要素であり、物語の根幹を為す重大なテーマなのです。

○PS2版イース4の、物語の主題

いきなり結論を書いちゃうと、PS2版イース4の物語というのは「過去の呪縛と不幸の連鎖を克服する物語」だったのだと思います。これらから生まれるのが逆恨みというわけ。カーナがアドルやフレアに抱いた感情もそう。
彼女は今回のメインヒロインとして結構キツイ役割を与えられています。

さて、過去の呪縛と不幸の連鎖とは一体なにか?
これは、実はそれぞれが複数あるのだと思います。

●セルセタの人々

セルセタの古代文明そのものと、黒き伝承。
黒き伝承の実態は、人間達の側で起こった身勝手な(しかし無理もない)誤解によって生まれたものであり、歴史の真実とは真逆と言ってよいものでした。
800年あまりの時を経てなお村々の間にわだかまりを残しているのですから、もともと古代セルセタの殆どの人間達が、有翼人と神器を誤解し、反目していったのでしょう。

その背景にあったのが太陽の仮面です。
本来はエルディーン水没の恐怖がさめやらぬ人間達のために、万が一に備えて造られた「太陽光を集めて海をも焼き尽くす神器」でした。
しかし第二のエルディーン水没は起こらず、次第にその恐怖も薄らいでいった人間達のために有効に使おうと、神器は太陽光を集めるという性質はそのままに、一種の気候操作システムとして利用されていくことになります。
太陽をおだやかにほほえませる、という意味から「太陽の仮面」と呼ばれるようになったのですが、心ない一人の人間がこの機能を狂わせたことでセルセタは崩壊への道を辿ります。
しかし人間達は自分たちの非を認めず気づかず、もう一つの神器であった「黒真珠」(イース1・2のあれです)を太陽の仮面から遠ざけさせ、双子の女神(もちろんアレです)と6神官がセルセタから去るという結果になりました。

黒真珠が無くなったことで太陽の仮面は暴走に向かい、セルセタの半分を焼け野原にしたときも、人間達は残っていた有翼人(エルディール)が人間を滅ぼそうとしたのだ、と噂しますが、エルディールはそんな人間達をまだ見捨てず、レファンスと五忠臣に聖剣を授け、太陽の仮面を湖底に封じたのでした。

しかしそのことは多くの人々には伝わらず、結果的には誤りの歴史である黒き伝承として、セルセタのほぼ全土で脈々と語り継がれていきました。

以上は、セルセタに住む人々にとっての「過去の呪縛と、不幸の連鎖」です。
白き伝承を伝えてきたハイランドにとっても、他の村々からの孤立という不幸が代々受け継がれていますし、その過去から続く確執に呪縛されているのです。
そして、ストーリーの舞台であるゲーム中の「現在」もまた、古代文明の遺産を狙う勢力によって荒らされ、多くの命が失われています(その中にはカーナの弟レムノスが居たわけで、カーナは物語のヒロインとして悪役サイドと善玉サイド両方の心情をプレイヤーに伝えるという役割が与えられた)。

各地に点在している有翼人像はそのまま二つの伝承を象徴します。
エンディングに登場する有翼人像が全て「白き伝承」の五体満足の像になっていたことは、そのまま不幸の連鎖が断ち切られ、セルセタの人々が伝承の呪縛から解き放たれたことを表しているのです。
(無論、オープニングの最後に頭と腕の無い有翼人像が映し出された理由もお分かりになると思います。)

●グルーダ、バミー、ガディスとブラトス

もう一方の「過去の呪縛と不幸の連鎖」の体現者は・・・そう、闇の一族とブラトスです。

− ブラトス −

ブラトスはもともとロムン帝国での魔法研究の権威でした。彼は闇の一族を束ねる機関の長でもあり、善悪はともかくとして、高い地位を持った人物であったことは確かです。
が、魔法の研究で大きな失敗をしたことでその地位を追われてしまった、ということがゲーム中で語られます。
その失敗とは、「アドルがエステリアでしたこと」が原因でした。 つまり、ブラトスが研究していた魔法というのは、黒真珠の力によって生まれた魔法だったのでしょう。魔力の源であった黒真珠(その化身である魔王ダーム)がアドルによって倒され、女神達によって人間の世界から魔法が無くなったことで、魔法の研究はたちゆかなくなったのだと思われます。
このことで「アドルを憎んでいた」というブラトス。

ところで、黒真珠はセルセタからエステリアへと運ばれたものであることが、作中で明らかになります。
ブラトスの不幸は元を辿れば古代のセルセタへ行き着くのです。 そして彼の不幸とは、研究の成果を得られなかった(あるいは失った)ことだけでなく、魔という「人間にとっては早すぎた力」に魅入られてしまったことに始まっていたのでしょう。

そのブラトスによって光ある人生を奪われた被害者が闇の一族達でした。
(これを不幸の連鎖と言わずして何と言おう?)

闇の一族はブラトスを恨み、ロムン帝国を恨み、やがて自分たちの行う殺戮や非人道的な行為の数々をも正当化するようになります。
キャラクターごとにその形は違っていても、PS2版イース4の物語の根底に流れるものがなんとなく見えてきた気がしませんか?

グルーダ、ガディス、バミーの三人には強い(そして複雑な)仲間意識がありました。

− ガディス −

姉を失った過去から、グルーダとバミーを自分の兄姉と慕うガディスの過去は、おそらくは村の口減らしのために、愛する姉によってブラトスに売られた、というものでした。
その現実を受け止めることが出来ず、ガディスの心の中で姉の死が捏造されます。
失ったのが「姉」ですから、バミーにはよくなついていたのでしょう。しかしバミーがそれをウザがっていた、というのも彼女の口から開かされます(^^;

ガディスは「ロムン帝国を倒し自分たちのような悲劇を生み出さない」という信念と、グルーダ・バミーへの強い仲間意識(家族愛と言って良いと思います)に突き動かされる一方で、その自分たちが見知らぬ誰かの命を、人生を、家族を奪うという矛盾をどこかで感じていたのでしょう。
リーザへの一言が持っていた優しい響きや、己の過ちを認めながら、グルーダとバミーのために殉じた最期の場面によく現れていたと思います。

− バミー −

バミーは捨て子だったところを保護され、闇の一族として育てられたといいます。
「今となっては両親に感謝している」という台詞もありますし、リーザを塔から突き落としたり、レムノスを魔物化させて、彼が苦しみの中で村の仲間達を血祭りにあげるのを楽しんだ、など、闇の一族3人の中では特に非道な印象が強く描かれていました。

しかし、彼女を動かしていたのはガディスと同じ、強烈な仲間意識(やはり家族愛と言って良いほどのもの)でした。
家族全員を殺されたグルーダのために、自分がグルーダの永遠の家族になる。
ロムン帝国への復讐を済ませたら・・・とそう語るバミーには、非道さだけではなく、善悪の外にある究極の母性(とでも言うべきもの)を感じます。
「永遠の」って言葉を付けてるあたりがいいですね。いろいろ妄想しちゃいますわ(^^;
死が二人を分かつまで、ではない。死でもってすら分けられない、そんな絆を与えようとする。そしてそれは、グルーダが何より絆を求めていることを察している、ということでもあるのでしょう。

「自分の幸せのために他人を不幸にする」ことを「あら、いけないの?」と言い放つ彼女ですが、行動の非道さの裏には「グルーダのためなら」という言葉が隠されているのです。

そのバミーに訪れた終わりは、精神の崩壊でした。
人間を魔物に変え(作中で魔物に変えられたブラトスは、それを「永遠の苦しみ」と表現している)そのさまを楽しんですらいた彼女は、自らが魔物と化してしまい、戦いの後で人の姿は取り戻すものの、こころを失います。
それは当然の報いであったのかも知れません。報いとは、罪に対してどこからか巡り巡って訪れるもの。
そう考えると、彼女は連鎖してきた不幸を一身に受け止めたキャラクターとも言えます。

− グルーダ −

物語の最後に明かされたグルーダの過去は壮絶なものでした(この場面はとにかく、グルーダ役の声優さんの演技が素晴らしかった!)。

父の命を救うために禁を破って魔法の力を行使したことが元で、巡り巡ってブラトスに全てを奪われたグルーダ。ブラトスへの恨みは三人の中でもひときわ強かったのではないでしょうか?
そして、彼にとってバミーとガディスはかけがえのない仲間だったに違いありません。

ゲームの冒頭で、「自分の分を超えた事はするんじゃない」、みたいな事を言っている場面がありました。
僕はてっきり、あれはポーズで、本当は二人の事を駒としか考えない非道なヤツに違いない、と思っていたのですが(旧作のイメージがあると、結構そう思っちゃう・・・よね?)、クリアしたときにはこいつのことが大好きになっていましたね(笑)
三人の中でグルーダだけが旧作と全く異なったイメージのデザインになったのは、キャラの内面を象徴してのことだったんだろうと思います。

話を戻します。今回、最初の方でアイテムについて書きましたが、あの「7冊目のイースの書」を持っているのがグルーダです。

実は単なる呪文書であったこの本、物語の中で「過去の呪縛と不幸の連鎖」を象徴する存在として扱われています。
グルーダにとって、最大の恨みの対象であったブラトスが虚栄心で造らせた本。それを(ゲーム中では)常に持ち歩いているグルーダ。
この本は、いわば魔法研究者としてのブラトスの証です。であるならば、闇の一族を統率する者としてのブラトスを象徴するものでもあったのではないでしょうか?
グルーダにとってそれは、忌むべき過去の象徴に他なりません。そして、優れた才能を持っているとはいっても常にこの呪文書を用いて魔法を行使するのは、彼もやはり過去の呪縛から逃れられずにいるということを表しているのです。

そんな本を「イースの本」と呼ばせているのは、物語の導入としての必要性や、正体との意外性というだけの意味合いではなく、イースの国の不幸な出来事を意識させるためのからくりでもあるのでしょう。
そしてそれは、「過去の呪縛」「不幸の連鎖」を象徴するこの本こそが、これらを打破するための鍵となることをも暗示しているのです。
(つまり、イースがアドルによって、人間の欲望が生み出した魔の脅威から解放されたことそのものを伏線として扱っていると言えます。)

また、グルーダもアドルのことはそれなりによく知っており、「お前はまるで光の子だな」「私はお前が嫌いなのだ」と発言。これは、ストーリーの重要な要素である「逆恨み」の1つです。

そして、彼に訪れた終わりは・・・

●物語の結末

考察をうたうからには、触れないわけには行かないでしょう。
戦いの後、アドルとグルーダはどうなったのか。あのときアドルは何をしたのか。
まあ、これはすぐ分かると思うんですが・・・「とどめを刺せ!!」と迫るグルーダに近づいていったアドル。
そして剣の音。

あれはグルーダが持っていた「あの本」を斬ったに違いありません。
アドルのふるう剣が古代都市の中枢(セルセタの古代文明そのものであり、長きに渡ってセルセタに伝わってきた過去からの呪縛の象徴)を破壊し、同じように、グルーダ達を呪縛してきたものを象徴する(グルーダにとっては、まさに呪縛そのものが形を為したと言える)本を叩っ斬ったのです。

なんともスジが通っていて、まっすぐでスカっとする展開ではないですか。やっぱり鬱なのはいけませんw
そしてグルーダは、アドルからバミーが生きていること、しかし、既に一人では生きていけないことを伝えられたのでしょう。彼はアドルへの反感や確執のことよりも、バミーのことを考えたのに違いありません。
彼はそういう男なんですよ(笑うところ)。

バミーの願いは叶いましたが、それを願った彼女は、もういません。
しかしいつか、彼女の心が帰ってくる日が来ることを信じたいです。アドルというキャラクターはそういう男のはず。だからプレイヤーである僕たちも、彼になったつもりで信じようではありませんか・・・。
(呪縛が断ち切られたからには、不幸の連鎖にも終わりは来る。上の方でバミーを「連鎖した不幸を一身に受け止めた」と書いたけど、それもいつかは・・・。)

○古代都市

ゲーム中では、グルーダの場面の直後がもう船の上、ですので、旧作のように古代都市の崩壊は描かれません。
動力源を失ったからには、湖の上空からは落ちていったのだと思いますが、上手い具合に再び湖底に沈んだのでしょう(^^;
アドルとグルーダはちょうどいい感じに湖に飛び込んだとか(英伝5のラストみたいに)、そもそもあの古代都市には墜落になんらかの備えがあったのかも。有翼人が作ったモノですから、それでもおかしくはないと思います。

○カーナ

順番としては本当は最後に持ってくるべきじゃないのかも知れませんが、今作のメインヒロイン、カーナについても少し書いておきます。いいかげん長くて僕も疲れてきました(ぉ

物語上のカーナの役割というのは、自分の身をもって「呪縛」や「不幸の連鎖」を体験してプレイヤーとアドルに見せてくれることと、それを乗り越える(のを見せてくれる)ことです。
抽象的な言い方で断言して逃げ切りを狙っているように見えますが、そういうわけではなくて(^^;

まず、登場したときのカーナは「黒き伝承」を信じています。
これは、彼女もまた、過去からの呪縛にとらわれている一人であるということです。行方不明の弟を案じ、ちょっと調子のいいところがあって、正直で優しくて気が強くて・・・と魅力的なヒロインとしての印象をしっかり植え付けた後で、一部で不満を呼んでる「人殺し!」が来るわけですねw
(余談だけど、旧作でも5でも6でもアドルは普通に兵士と戦ってます。人を殺したことはあるのでしょうね。)

レムノスが行方不明となったのは、闇の一族によって魔物に変えられたためでした。
レムノスは一緒にさらわれた他の人々を解放する代わりに、自分が魔物にされてやる!と申し出たのですが、魔物に変えられてしまった彼は、血の涙を流しながら自らの同胞を皆殺しにしたと、いうことがバミーの口から語られます。
そのレムノスをアドルが殺し、コモドの村やカーナは深い悲しみにくれることになりました。

そしてカーナは、アドルに、フレアにまで「逆恨み」の感情を抱きます。
これは、古代セルセタの人々が有翼人に抱いた感情であり、バミーたちが他者に抱いた感情であり、ブラトスがアドルに抱いた感情です。
そして、フレアがアドルとプレイヤーに示したのは、感情に流されず、本当に必要なことを見据える、という理性のはたらきでした。

カーナは怒り、悲しみ迷いながら、次第に落ち着きを取り戻します。
ただしそれはまだ危うい落ち着き。これが無力感として現れたことを示すのが、雨の中でのアドルとの再会シーンだったのでしょうね。
「あんたも、あたしも、あいつらも」許せないと言うカーナは単身聖域の城に忍び込み、そこでブラトスがバミーの恨みによって、魔物に変えられてしまう場面を目の当たりにしたのです。
これが彼女の心に火を付けることになり、まあブラトスにあっさり倒されちゃうんですけど、本当に戦うべき相手をここで見据えることになりました。

ただし、この時点ではアドルへの逆恨みはおさまっていないと思います。
本当にそれが晴れるのは、もちろんブラトスが人間に戻り、魔物に変えられる苦しみを語り、アドルに感謝を述べるのを見てのことなんでしょう。
そしてブラトスの自刃には、その理不尽な最後に怒りを募らせたのに違いありません。

この「魔物に変えられた人は永劫の苦しみを味わっている」という設定にも深い意味を持たせてあるような気がします。これは書いてて思いついたことなので今回は割愛。

この場面以降、またカーナが頼もしい?サブキャラとして登場、アドルともちょくちょく行動をともにしますね。
そして、レムノスを魔物にした憎きバミーが、自業自得とは言え魔物になってしまい、さらには自我を失ってしまう。そのバミーを地上に連れ帰るというフレアに「手伝って」と言われ、カーナはしぶしぶとはいえ了承しています。
このシーンは、恨みという不幸な感情、それが連鎖することは何も生まない、悲しいことなんだという意味なのでしょう。もちろん、「弟の死」という悲しい過去に呪縛されず、それを乗り越えたという場面でもあります。
もしもカーナがアドルへの逆恨みを捨てきれなければ、おそらくレムノスの死は彼女の未来をも呪縛する過去となったはずです。
そして、バミーを生かしておこうとは思わないでしょうね。

エンディングはほぼ全て、カーナの独白(手紙)によって進行しました。
こうやって物語のテーマを仮定し、カーナの心の動きをそこに当てはめながら見てみると、あのエンディングの必然性がはっきり見えてくるでしょう。

「あなたの行動が、きっとどこかで誰かを救っている。それは今ではなく、過去かも知れないし未来かも知れない。
そしてあなたがこの先幸せを感じるときは、それはあなたの知らない誰かのおかげなんだ、と考えてみて欲しい。」

手紙は、大体のところをまとめるとこんな内容ですよね。
これは、再三書いてきた「不幸の連鎖」の真逆の考え方といえるでしょう。
白状しますと、エンディングのカーナの手紙から考えていって「作中の不幸は連鎖している」と思い、それを生み出しているもの(として描写されたもの)の正体は「過去からの呪縛」である、というようにして「イース4」のテーマを導き出してみました。

では、悲しい過去からの呪縛を断ち切り、不幸の連鎖を止めるものとは一体なんなのでしょうか?
単純に言えば「ポジティブシンキング!!」てこと。何も恨むなかれ。

「なんだ、安っぽい」と思われるかも知れません。
しかし、今回のイース4ではさまざまな形で憎しみ、誤解、逆恨みなどが描かれました。だからこそ、「憎んではいけない、誤解したままではいけない、逆恨みはしてはならない」ということにも説得力が生まれるでしょう。
そして、それがテーマならば、なんと正しいことか。本当に、本当の正当派。
「ジョジョの奇妙な冒険」でいうところの「黄金の精神」を感じますw

○まとめ

こういう物語は時に青臭いと言われます。しかしそこには紛れもない普遍性があるはずです。
人は時にそれを感じ取りながら、「青臭い」と言ってみたり、一種の気恥ずかしさを覚えてしまうことがよくあります。
おそらく、少年時代に少なからぬ人が実体験しているでしょう(女性はどうなのかね、僕は男だからよくわからない)。

だから、ちょっと話がずれるけれど、今の「少年漫画」とかは悲しいと思う。
本当の意味での「少年漫画」は、少年達にこそ読んで貰いたい、メッセージを受け取って欲しい、という熱意に貫かれた作品は・・・
当の少年達からは「青臭い」と敬遠されることが多々あるから。

僕は少年という歳では無いですよ、ええ。
しかし、普遍的な感動を含む物語を体験して、感動しない人間にはなりたくない。そうなることはある意味で精神の死だと思う。
逆に、そんな姿勢を指して「少年の感性」「幼稚な思考」と言う人も少なからずいるでしょう。ですが、本当に何も感じずに、たださげすみ笑っている人たちが・・・・
果たしてどれだけいるものか?

人類が創作を覚えてからずっと、脈々と受け継がれてきた様々の古典には受け継がれるだけの理由があった。
僕は、コンピュータゲームがそういった形に昇華される日がいつか来ることを本気で信じています。
人間は素晴らしいものを生み出せる生き物なのだから。その人間が覚えた、新しい表現の形なのだから。
だからこそ、「ゲーム」の中で物語を語ろうとする作品にもそうした普遍性を、人間の心に生き続けるものを求めていたい。
「イース」シリーズにはそれがあると思います。
だから、僕は「イースIV マスク・オブ・ザ・サン -ア ニューセオリー-」に覚えた感動を恥じることはありません。
このゲームがあと20年、50年、100年残るものか?たぶん違うでしょう。
でも、そういったゲームが現れる下敷きにはなると思う。作り手が熱意を失わず、遊ぶ側が素直に感動できる心を持っていれば、ですけどね・・・。

で、客観的に見れば総合的には並程度の「イース4」ひとつでこれだけ語れる自分はやっぱり大馬鹿だと改めて思うのであったw
あと、やっぱり僕はイースが大好きなんだなあ、と。

・おまけ
ドギですが、出てこなくても良かったような。
エンディングではきっと船室で飲んだくれてるんでしょう(笑)

最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。

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