ウルティマIX -アセンション-

「ウルティマIX -アセンション-」は、コンピュータRPGの古典「ウルティマ」シリーズ本編の、記念すべき完結編です。
1981年にapple][のBASICで書かれて世に出た「ウルティマ」は、いつしか「ブリタニア」という完成された仮想世界を築き「ウルティマオンライン」として日本でも広く知られています。
本編ウルティマは第四作「Quest of the Avatar」から現在の世界観を確立させ、ウルティマオンラインの世界もこれに準じています。最大の特徴は、人間の心の葛藤と成長を主題に据えた、根の太いドラマ性でしょう。大人が大人の為に作った(本来、コンピュータゲームとはそうしたものだったのです)人生のドラマが「ウルティマ」にはあります。

見渡す限りの、世界がある。

某国産RPGのキャッチコピーですが、これはウルティマにこそ相応しいものです。
と言いますか、雑誌で初めてアレの画面が公表されたとき、僕には「鳥山絵に差し替えたウルティマIX」にしか見えませんでした・・・・。
いや、アレは大好きですので(8はやってないけど4、5が好き)悪く言う訳じゃないのですが、今も昔も「ウルティマ」の影響下にあるということは変わらないのだなあ、と、なんだか感慨深かったのです。
1981年、ウルティマは「俯瞰マップ」と「スクロールするマップ」という大発明をもって登場し、現在まで根強く続くフィールド型RPGの基礎を築きました。
当時としては、マップの方を動かすことで広い世界を表現する、というのは本当に大きな発想の転換だったのでしょうね。(ちなみに3Dダンジョンのクラシックである「ウィザードリィ」ですが、あのダンジョンの表示はウルティマの作者が前作「アカラベス」で確立したもので、見た目に関して言えばウィザードリィが発明したものではありません。)

ウルティマは特に4以降になって「世界を作る」というコンセプトが明確に見え始め、地域の特色や人々の生活習慣などがゲームに上手に取り込まれるようになりました。すべての登場人物に名前や職業などのデータが与えられ、プレイヤーはただ「話す」のではなく、何について聞くのか、ということまで考えるインタラクティブな会話が出来るようになりました。
5では「目に見えるものは全て機能する」というコンセプトのもと、椅子には座ることができ、時計は常に時を刻み、テーブルの上の食事は食べることが出来る、そんなリアルな世界を早くも実現しました。時計があることで分かるとおり時間の概念があり、村人などのキャラクターは時間に合わせてそれぞれの生活を営んでいます。
6ではプラットフォームをIBM-PCに移してグラフィックスをより強化し、ナナメ見下ろし型の視点へ変更すると共に、マウスを併用した操作を導入しより直感的に「目に見えるものすべてを機能」させることが出来ました。
ついに日本語化されることの無かった7では世界の作り込みを徹底し、操作系のブラッシュアップを併せて今日まで最高のウルティマと言われています。
8ではキャラクターを大きく描画し、7に比べると大幅に縮小された世界を舞台に、マウスとキーボードでの多彩なアクションを取り入れました。

さて、長くなってしまいましたがいよいよ9・・・「アセンション」です。これは完全に3D化された世界です。1999年の発売ですが、当時としては最高峰の仮想世界が実現したといって良いでしょう。
全てがシームレスに構築され、卓越した現実感を持った世界で、プレイヤーはアバタールとなって走り、飛び、よじ登り、川や湖を泳ぎ、視線だけを動かして辺りを見回し、夜空を眺めながら眠り、洞窟の暗闇に挑み、突然の雷雨にあわて、魔法を唱え、様々な武器を駆使して戦い、パンを焼き、ワインを飲み、椅子に腰掛けてくつろぐ事が出来ます。「目に見えるものは全て機能する」という原則が活かされており、多くの国産ゲームとは違うリアルな「手触り」のある世界を実現しているのです。
この世界には行けない場所はありません。城壁や高い岩山にも、独自に足場を設れば登ることが出来ます。湖の底に眠っているかも知れない宝を探して深く深く潜ることも可能です(もちろん溺れることもあります)。

およそあらゆるものを手にとって使用することが出来、およそ行くことの出来ない場所など存在しない3Dの仮想世界。国産のRPGに、これだけのものがあったでしょうか?今でさえ、それは存在しないのです。

アバタール最後の冒険

ウルティマで主人公は「アバタール」と呼ばれます。この由来はウルティマ4まで遡るのですが、ウルティマ4の目標は「ラスボスを倒す」事ではなく、「徳の道を究める」ことでした。
己の人格を高めることを目標とした、とてつもない発想のゲームです。このとき主人公は「アバタール」となり、以降のシリーズは(キャラメイクを行えるものでも)アバタールとしての行動を求められるようになります。
幾度もブリタニアを救ってきた伝説の英雄の最後の旅が「アセンション」です。
これは、簡単な道のりではありませんでした・・・

まず、何と言ってもバグが多い(笑)
このゲーム、「好きか嫌いか」と問われたら僕は「大好きだ!」と答えますが、「出来が良いか悪いか」と問われたら「最低だ!」と答えます。
プログラムの完成度が異常に低いのです。例えば避けられないメモリリークによって、一定時間毎にPCを再起動させなければならないであるとか、フラグ管理が適切に為されていないため容易に「ハマり」に陥る、であるとか、アイテムがポリゴンの隙間から時空の彼方に消えていく(笑)であるとかw
そんなわけで、まず何より大切のはセーブ!
ひたすら細かくセーブして、万一の時にすぐ復帰できるようにする心構えが必要なのです(^^;

まあそんなわけでこのゲーム、決して世間の評価は高いとは言えません。日本国内に限らず海外でも、「今年もっとも失望したゲーム」(もちろん発売当時)として選ばれるなどの実績(ぉ を残しています。
しかし、それでいてこのゲームが魅力的であるのは何故か。その最たるものはやっぱり世界であり、作り込まれたファンタジー世界を自由に歩き回ることの楽しさなのです。
町じゅうのビンを運んできて積み上げ城壁を登るとか、世界中のタルや箱を破壊して回る(w)とか、世界の最高峰を目指して山登りに励むとか、「アバタールとしてどうよ?」と思うような遊び方も自由。
僕がプレイしたときには、絶壁を見かけると登っていましたね(笑)。

もう一つの魅力はそのストーリーでしょう。
とは言え、アセンションのストーリーはけして良くできているとは言えません。全体の流れが非常に冗長で、必然性が薄く、ドラマの盛り上がりに欠けています。
しかし。
プレイヤーの心に訴える場面も多く、これがウルティマのウルティマらしいところなのです。
例えば、ウルティマ4では目の見えない商人から買い物をする事があります。この時、相手は目が見えませんので、プレイヤーに対しても「お金を数えて下さい」と言ってくることがあります。
街の中で宝箱開け放題、人の家の箪笥からアイテム取り放題のRPGしかやらない人がウルティマをやったら、こんな時はどうするでしょう?しかし、それでは「人間として」ダメなのです。そう言うことを真正面から扱っているのがウルティマのストーリーなのです。

ウルティマ4は人格を高めるゲームですから、悪い行いにはペナルティが課せられ、ゲームクリアからどんどん遠のいていきました。5以降のウルティマでは既に徳を究めた者としての行動を求められますが、ペナルティは例えばMPの最大値が低下する、というようなもので(これはIXでも同様)致命的なものではありません。
しかし、そのかわり、ストーリー展開でプレーヤーに考えさせる局面が多くなりました。
5では圧制を倒すために身分を偽って(嘘をつくことは徳に反する)体制側の一員になりすます必要がありましたし、6では憎むべき敵とばかり思っていたガーゴイル族との共存の道を求めて東奔西走することになります。
極めつけに8では、アバタールは自分の世界へ帰還するために「どんなことも」辞さずに行動する必要があり・・
異世界モーゲイリンを阿鼻叫喚の地獄としてしまいます。

アセンションにもまた、プレイヤーの心を揺さぶる仕掛けが数多く仕組まれています。
ストーリーの大筋は、「突如、各地に出現した謎の柱が放つ障気によって、ブリタニア全土で人々の心はすさみ、徳は崩壊した」というもの。アバタールは各地を回りながら問題を解決し、徳を象徴する神殿を復興して、人々の心に光を取り戻さなくてはなりません。
以下のエピソードはストーリーの本筋には影響しないと思いますので(むしろストーリーラインをなぞるという感覚は、ウルティマでは少ない)、特に印象的だったイベントをいくつか紹介したいと思います。

少女の亡霊

「献身」の徳を象徴していたミノックの街は、謎の柱の影響で誰もが自己中心的になり、人々の心のいさかいはついには暴動に発展し、多くの死者を出しました。
アバタールはある廃屋で一人の少女の霊に出会います。
「おかしくなった」大人達がたがいに殺し合いを始めた中で一人恐怖に震えていた少女は、しかし自分もまた命を落としたのだということに気付かず、親の帰りを待ち続けています。
アバタールの、「こんな小さな子が、なぜ・・・・!」という慟哭が非常に印象的。
あることをして彼女を解放(というか成仏)させることが出来るんですが、その時のアバタールも実にイカしてます(^^; いやー、いいおっさんだわ〜。

真実の試練

魂の寺院と呼ばれる場所があります。終盤に訪れるこの場所には、強い未練によってこの世に縛られた魂達が集まってきます。
「何かを探してここに来た」というカランは、しかし何を探しているのかが分からずに困っています。彼は生前は泥棒で、裕福な人だけを狙ったため「悪いことはしていない」と思っています。
彼には幼い子供がおり、生きて行くには盗むしかなかったのだ、何が悪いんだ、と主張します。

しかしアバタールは彼を諫めます。人間は他人の犠牲の上に生きるのではなく、自分を支える強さを身につけなくてはいけない、と。
子供たちの為に盗むというのは、子供達にまで盗みを働かせようとするようなもの、いわば「泥棒になれ」と教えるようなものなのだ、と。
その罪悪感に向き合うことが怖かったのだ、と己の心の真実を悟り、カランは昇天していきます。

愛の定義

同じく魂の寺院にて。
エリザベスという女性が、悲しみにくれて泣いています。彼女は生前一人の子を産みましたが、その子を放っておいたために死なせてしまいました。後悔のあまりに自殺したエリザベスはわき上がる悲しみに耐えられず泣いているのです。
なぜこんなにも悲しいのか、自分にはわからないとエリザベス。
「悲しいのは、あなたが子どもを愛していたからですよ。」というアバタールの言葉に、しかし彼女は「愛とは何ですか」と逆に問いかけます。
アバタールにも答えられません(何でだ!)。しかし、魂の寺院にはエリザベスの子の霊も来ていたのです。
寂しい廃屋で一人泣いていた赤ん坊をエリザベスに手渡し、死なせてしまった我が子を胸に抱いたエリザベスは、「心の穴がふさがっていくように」感じると言います。
アバタールは言います。
「その満ち足りた気持ちこそが愛なのです」

残された命

最終決戦の舞台となるターフィンの砦で、猛毒を盛られ激痛にあえぐ少女に出会います。
プレイヤーがアバタールであると知ると、彼女は必死に懇願します・・・・「どうか殺して欲しい」と。彼女をむしばむ毒は凄まじい激痛を与えながら、命を奪うことは無かったのです。
アバタールとして、プレイヤーはどうするべきなのでしょうか?
殺すことなど出来ない、そうかもしれません。
苦しみから解放することでしか、彼女を救うことは出来ない。そうかもしれません。

一家に一本ウルティマIX

アセンションは現在廉価版が発売されており、1980円くらいで購入することが出来るようになっています。このゲームは普通のRPGのつもりで遊ぶと面食らってしまいますが、「ウルティマというゲーム」であることを十分に理解していれば、非常に趣深く自由度があり、冒険することの楽しさを味合わせてくれます。
何と言っても、ブリタニアを歩くことの楽しさは他のゲームではけして得ることが出来ません。 この素晴らしいゲームを、ぜひ多くの人に体験して欲しいと思います。(ウルティマっていうと「あのクソゲー!?」って反応がものすごく多いですが・・・・・)。
とりあえず必要になるのは・・・なによりも、プレイヤーの心の余裕かもしれませんね。

ヒロインのレイブンはムービーで見るとかなり美人。(本編のモデリングの事は聞くな!)

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